元嫁について思うこと
もう誰にも言えたものじゃありません。
元嫁のことは、まだ愛おしいし、可愛いし、未練たらたらです。
いまから4年前。
新卒で、東京にある世界有数の総合電機メーカーに就職しました。
私は、仕事が好きでした。
プログラマの仕事(バグ対やデバッグ作業)に追われ追いかけ、毎晩終電が当たり前。
早く帰れる日は、会社の誰かと管を巻いてました。
会社の人と仲良くなることが、コミュニケーションの真骨頂だと思っていました。
25歳にして年収450万円。
高卒サラリーマンにしては、そんなに悪くない給料だったと振り返って思います。
ただ、心はどんどん寂しくなっていきました。
通勤電車の中、だんだんと深いため息が止められなくなる日が多くなりました。
なんかよくわからないけど、ちょっとしたことで風邪をこじらせました。
でも会社の人と苦い業務をこなしている間は楽しかったのです。
ある日、突発的な難聴、体がふらふらするなどの、三半規管の障害が発生しました。
これはダメな奴だなと、3日間の休みをとり休みました。そして休めば、治りました。
また、元気に働き始めます。
ふと思った。
この心のエラーはきっと、マズローの欲求ピラミッドでいう低次欲求が満たされていないんだなと思うようになりました。
だって、高次の承認欲求は会社でバリバリ得られていたんですから。
食べたいと思ったらすぐ食べるようにしました。
飲みたいと思ったらすぐ飲むようにしました。
精神安定のために強制的にジムも開始しました。
睡眠時間をお得意のスマホで管理しました。
すべては完璧でした。
しかし何かが違う。
まだ心が何か言っている、ため息が止まらない、何のために生きているのかわからない。
一人でいるのがつらくなってきました。
親戚一同仲良く暮らしていた故郷とは打って変わって、東京ではレオパレスで独りぼっち。
ふと気づくと、社会という名の、消耗戦の真っ只中にいることに気づいたのです。
この事実に気づくまで2~3年。
そのあとおとなしく帰郷すればよかった。
しかし私はそうはならなかった。
私は女性経験が薄かった。
そこに漬け込むように、夜の街にはまり始めました。
ただ目が覚めるのも早かった。
その次に、まともになろうと、婚活を始めた。
それが教科書に載っている正解と呼ばれる人生、結婚への最短ルートだからです。
たくさんの人と話しました。
そこで気づいたことは、私はあまりにも模範的、デジタル、冷徹、業務的に生きていたということです。
心にうそをついていた、といったほうがいいかも。
そこで元嫁に会います。
元嫁はどちらかというと元気はなく、どちらかというと消極的で、インドアで、私とは真逆でした。
私はべたぼれでした。
散々連れまわして、両親にも挨拶して、ディズニーも、旅行も、ガンガン行きました。
そして1年後に結婚式を上げました。
そして新婚生活1年を待つ前に離婚しました。
そう。
あなたの想像の通りです。
私は私のスタイルを崩さず、元嫁を侵食しすぎたのです。
元嫁は実家の自室から出てこなくなりました。
両親からは、どちらも悪いとも言えないが、娘のためにあなたを止めるわけにはいかない。
離婚を選択したほうが賢いと言われました。
なんだなんだ?、私のスタイルが気に入らないなら仕事も全部やめてやる‼
全部やめました。
で、元嫁にまた話しに行ったら、もうすでにNG。
もう一回やり直そうと言いましたが、もうダメです。
義理の母親は泣き始めます。
もう、私は、東京で一人暮らしや再就職をする気なんて起きません。
鉄壁の心で何とでもできましたが、何かそれじゃない気がしたのです。
私はおとなしく離婚届けを出し、退職届を出し、帰郷することにしました。
結局、東京にあこがれて乗ったN700系は、最後、私をこんな思いで帰郷させるのです。
人の人生を狂わせて、自身の体を壊しかけて。
何をしに行ったのか。
そんなことを考えたら涙が止まりませんでした。
嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で仕方がなかった田舎に、自ら帰るのです。
馬鹿な話です。
前はあった、ギラギラしたプライドも、どこかに行ってしまいました。
実家に戻ったのは10年ぶり。
いまは25歳。
高校は、全寮制だったため15-16歳の時に実家を出たままです。
壮大な国内留学だったな、と思いました。
実家の両親も事情は重々分かっています。
何も言わず2週間飯を食わせてくれて、あとはひたすら寝てました。
今でも忘れない。
あまりにも壮絶すぎるこの思い。
元嫁には迷惑かけて申し訳ないと今では思います。
今日はこのくらいで。